卒業生の言葉

須磨友が丘駅伝チームでは、毎年3年生が卒業文集を作成します。

その文集に書かれている言葉を載せました。

卒業生の3年間の思いを綴った楽しいページです♪ぜひご覧ください。

 

 

 

28回生 (2012年度卒業) 

 

 ・小川倫欣 男子キャプテン

 

 高校の3年間は本当に短かったです。特に3年生になってからは風のように過ぎ去りました!

 1年生の時、同学年の男子が自分だけだと分かったときは本当にこの部活を続けていけるのか心配でした。でも先輩方や後輩たちのおかげでそれほど気にすることはなく、楽しく部活に励むことができました。ほんま感謝してます!長距離は些細なことにも楽しみを感じながらじゃないと続けられないと思うので、楽しめるところは楽しんで頑張るところは頑張ってけじめをつけながらやってほしいです。あと、これからもたくさん壁にぶち当たると思うけど諦めないで下さい。諦めたら試合終了ですよってどっかの先生も言ってました(笑)。って知らんか!何かふつうの事しか言えへんなあ(笑)。まあマイペースに気負いし過ぎずに一歩一歩進んでください。

自分は3年の夏くらいから故障で思うように走れず、ベストもでず、1班を引っ張ることもできなかったのが悔い残りなので、ほんま故障だけには気をつけて!3日走らないのか、3か月走れないのかを比べてみて!走るのも我慢してください(笑)。みんなは悔いなく終えて下さい。切に願います。

自分をここまで成長させてくれて本当にありがとうございました。みんなのおかげで部活での経験や思い出は一生の宝物になるだろうと思います。

ああ自分の文才のなさに文集をかきながら嘆くわ(;-o-)申し訳ないです...ついに自分の6年間の陸上生活が終わった。なんか寂しい、これからは選手を支えられるよう精進します。以上!!

 

 ・水田揚子

 

 ついにこれを書く時がきましたね。この3年間は想像していた以上にあっという間に過ぎていきました。

 この3年間は本当にたくさんのことがありました。悔しかったこと、苦しかったこと、嬉しかったこと、楽しかったこと…。逃げ出したいなと思ったときもあったけど、最後に笑顔で終われたのはたくさんの人たちの支えがあったから。辛い時、みんなが頑張っているのを見るとがんばろうと思えました。何気ない会話で笑い合えるのが本当に楽しかった。素敵な仲間とたくさんすごせて最高でした。

 わたしは速い選手ではなかったです。たいした記録も出せませんでした。でも自分なりに頑張って自分が納得して終われたので悔いは残っていません。きっとこれから大変なことがいっぱいあると思うけど、くじけずに自分のペースで前に進んでね。感謝の気持ちと心強い仲間がいることを忘れないで…。

 たくさんのことを学んだ3年間。たくさんの思い出ができた3年間。たくさん泣いた3年間(笑)本当にありがとうございました。

 

 ・石井美帆

 

ようやく、高校3年間の終止符を打つときがきたのかと思うと寂しいですね。笑

入学したときから読み続けた、友が丘EKIDEN TEAMの文集にとうとう私が書く時期が来たと思うと、とてもあっという間に感じます!全体的に暗くなっちゃうけど、読んでね?笑笑

 1年では、中学のときとは全く違う雰囲気と、練習量に圧倒されていました。早くて強い先輩ばっかりで、夏に貧血になって故障がずっと続いて、補強することが多かった一年でした。合宿も出だしから何もついていけなくて、それに仲良かった2人がいなくなって、、、人生の今までの中で一番の山場でした。毎日毎日、悔しくて、全てに自信無くしてもて、学校も部活も行きたくなくなって、部活に行けなくなりました。この時はびっくりするくらい暗くてごめんなさい。

 2年になって、早理となっちゃん先輩と話をすることになって“戻ってきて、一緒に走ろう!”って早理が泣きながら言ってくれたことは、ホンッマに嬉しかった!今でもめっちゃ覚えてる!これが無かったら今の自分はおらんと思います。戻ってからは、いつの間にかマネージャーの仕事を門ちゃんとしていました。ケンカとかしたけど、いっぱい遊んで、いっぱい相談し合って一気に門ちゃんとの距離が近づいたね!半年マネージャーをしたことはすごく経験です。このお陰で周りを見ることが出来ました。半年くらい経ってから選手に戻った時は、みんなが受け入れてくれてすごく嬉しかったです。戻ってからはずっと補強やったけど、足引き2時間本気でできました。足引きはすごく力になる!って確信した1年でした。28回生のみんなとも、ようやく話したりするようになりました。 

 3年生になって、春合宿から1年生が入ってきてくれて一気にムードが変わって、“走らされる”じゃなく、“走りたい”って意識に変わっていきました。何回か受験のことで悩んで辞めたいって思ったけれど、だんだんチームが大好きで“部活に行きたい”って思うようになってきました。この3年間頑張ってきた成果を出したい!って思って、合宿も「これで人生の高校生活のラストや!絶対タイム伸びる。大丈夫。頑張ろ!」っていう気持ちで自分に言い聞かせていました。3年になってようやく記録が10分台に上がったことは、めっちゃ嬉しかったです。28回生とは、いろいろ深まった1年やったね。チームみんなとも仲良くなれて、どこからか力が湧いてくるくらい大好きなチームでした。くらよし・地区では1区を経験させてもらえたことは、ホンマに良い思い出です。最後の駅伝も走れなかったけど、3年間で最高の思い出になりました。

  3年間思い出すと、28回生は波乱万丈という言葉しかないね。()でもその分、最高なチームや仲間、思い出ができたし、私のなかでの最強のチームに逢うことが出来ました。本当にありがとうございました。

めっちゃ辛くて、悲しくて、どうしようもなく不安だらけだったけど、思い出すとすごく楽しくて、喜びが経験できて最高な3年間でした!

 

 ・門藤瑞季 マネージャー

 

 ついに自分も文集を書く番がきました。では、この3年間を振り返ってみます!!文章は下手ですが、よかったら読んでください。

部活動見学で陸上部を見学させてもらった時メリハリがあるという印象が強く、この部活に入ろうと決めたきっかけでもありました。

1年の時はひたすらメモを取ることに必死。来年から自分が仕切らないといけない不安と恐怖から紙と鉛筆は手放せませんでした() 何もわからないし要領悪いし本当に迷惑ばかりかけてしまった1年間でした。

2年の時は毎日が試練() 1人になり辛くてしんどくて今すぐにでも部活やめたーい!!!ってよく思いました。特に夏の合宿ではマネージャーの実力が問われるとこ、「2年生が仕切るから合宿の質が落ちた」なんて絶対思われたくない!!!そんな想いで臨みました。そしてメモをとっていた過去の自分に感謝() いつの間にか部活をするために学校に来ていると思うほどになりました。楽しさと達成感を知った1年でした。

最後の1年間はあっという間!とにかく1日1日を大切にしようと過ごしてきました。

どんな時も先生方や仲間がいてくれて、私がサポートする立場なのに逆にサポートしてもらうことが多かったです。みんなの笑顔とひたむきに走っている姿、「ありがとう」という言葉が私の一番の元気の源!最初は嫌だった部活も今では楽しくて仕方ないほどになりました。須磨友が丘駅伝チームに入り、たくさんの人と出会い、貴重な体験ができ、充実した3年間を過ごすことができ良かったです。みんなには言葉では言い表せないほど感謝しています!!

 

 

 

27回生 (2011年度卒業)

  

 ・笠松新平 男子キャプテン

  

 ついに文集を書く順番がまわってきてしまったな~(´・ω・`)

本当にこの3年間はあっという間でした。まぁ、振り返ってみようか(笑)

 1年のときは入部した時、陸上が新鮮に感じたな~。中学時代は転校の関係もあって中2の夏で陸上辞めて、それ以降バスケしてて、それ以来やったから楽しみやったけど不安やったな~。兵庫県の陸上はレベル高いって聞いてたし自分がどこまで通用するのかな~って思いながらの入部やったな。1年で一番印象に残ってるのはやっぱ合宿やな!!なんせしんどい(笑)でも、ちょー楽しかったな!!神鍋のクロカンは今でも嫌や(笑)100×100本達成できたときは嬉しかったな~。篠山は好きやったな!1年のときは、篠山合宿はしんどくなかったな(笑)1年のときは!な(笑)淡路合宿はとりあえず寒かった記憶しかない← あと、1年で駅伝に出してもらえたときは本間に嬉しかったな!!

 2年のときは、郡市区駅伝っていうものの存在を知って、出れる人すごいな~自分も出たいな~って思ってたな。あと、驚愕やったんがしあわせの村合宿のしんどさ。1年のときは先輩方とメニュー全然違うくてそんなにしんどくなかったけど、初めて脚がつぶれるかと思ったな~。階段が降りれんようになったん初めてで、もうどうしようかと思ったわ(苦笑)。5000mのベストタイムが近い人が多くて駅伝に出たい一心で先輩方に負けんように必死に練習したな。そのおかげか、15分代でて駅伝にもでることができて嬉しかったな~。でも、駅伝は全然力出し切れんくて、先輩方の足引っ張ってもて、申し訳ない気持ちでいっぱいやった。先輩方が引退してからキャプテンとして新チーム男子4人っていう少なさでスタートして、来年の駅伝考えたら、本間に大丈夫かなって。たった4人しかおらんくて速いやつがいるわけでもなくてどうしようってなってて、自分がやらなあかんって思ってあせって、故障してもて・・・。冬の淡路合宿は補強だけしかしてなくて、このときがこの3年間で一番メンタルやられてたな。でも、みんな励ましてくれて補強がんばった!!

 3年なってまずびっくりしたのがしあわせの村合宿。補強の成果かわからんけど、メニューも2年のときに比べてだいぶきつくなってるのにあんなにこなせると思わんかった。初めて補強やってて良かったな~って思ったな(笑)。春になって、1年生が4人入部してくれて、とりあえず一安心やったな。この1年間は前の2年間とは全く違う感覚がしたな。陸上に対して本気で取り組んだ1年やった気がする。キャプテンとしてとにかく速くならなあかんって思って、大江先生が言った「夏に距離踏めば踏んだだけ秋には必ず結果は出る」っていう言葉を信じて夏はとにかく距離踏みまくったな。自主練も25kmコースばっかり走ったし、あと、フルマラソンもいい経験になりました!(笑)秋ではあと一歩14分代に届かんくてショックやったけど、夏に距離踏んでよかったなと思える結果が出てよかったです。

 なんかまったくまとまりがなくて個人的なこと長々と書いて申し訳ないです。(笑)勉強できないほうなのでこういうの苦手でして・・・(苦笑)

 この3年間長いようであっという間でした!苦しくて辛いこともあったけど、楽しかったしめっちゃ充実してました!これからも、人と人のつながりを大切に頑張っていきたいと思います!!あと、個人的なことやけど、同期の8人には本当に感謝しています!!この8人で本間によかった。ありがとう。

 

 ・中里翔太

 

 文集を書く季節になってしまった...3年間はなんやかんやであっという間やったな~と思うことが多くなった。しょうもないことをダラダラ綴っていくので、是非とばしてください()あと日本語弱いんで誤字脱字はスルーで.

 思えば入学式は4月のはず!!しかし3月の合宿から入部したwww。そこからの約3年間、人生に部活の時間を費やした。そして、色々なことがあった。楽しいこと!苦しいこと!苦しい..苦し.....藁。けどとても充実した日々を送ることができた。嫌々言いながらやったけど、めっちゃ楽しかった!!特に駅伝が一番楽しかったかな~うん。駅伝の前日も楽しい思い出しかない!!食事のときとか無駄に盛り上がって、めっちゃ笑って、めっちゃ騒いで・・・岡田先生に注意をうける()。このパターン良くあったきがする!!まぁこの3年間、思い出作って、いっぱい走って、自分なりに一生懸命頑張ってきました。御苦労さまですwww

 最後に・・・まだ陸上をするので、試合会場orどっかであったときは、真面目になっている()と思うので話しかけて下さい。

 

 ・山本倖大

 

部活在籍中には、思わなかったのですが…

友が丘の駅伝部に入って本当に良かったと思います。

入部当時僕は、74kgで太っていました・・  部員からは「何をしにきたの?どこかの部活と間違って来たんじゃない?」って感じの視線をヒシヒシと感じました。

そのような状況での練習・・・  練習のアップにすらつけないし。 ドタドタ音をたて跳ねながら走っていて

フォームとしては、あり得ないほど無惨なものだったと思います。大江先生は、「ウェイトを絞れよ!」ってこんな僕を応援してくれました!そう言って貰っていたのですが僕自身・・(部活が苦痛で苦痛でどうしたら良いのか分からなかったです)。辞めたいと思った事も度々ありました。

でも、諦めずにコツコツと練習を重ねていくうちに、アップに付いて行ける距離が少しずつ増えました!そして初めて、目標というものが出来ました。 「いつか・・アップに付いていってやる」と皆からしたらバカらしい目標だと思いますが、僕にとって、すごく大きな目標でした! 小さな目標でも出来ると…人間は、努力出来るようになるらしいです。

それに先輩も先生に色々と聞いてくれていたみたいです・・

「山本は、大丈夫でしょうか?」とか「山本を長い目で見てやって下さい」って・・ それを耳にした時、目頭が熱くなりました。先輩達がそのような事を気にかけてくれていたなんて全く知らなかったのです。そこでもし部活を辞めていたのなら、先輩達の思いを踏みにじっていたに違いありません。

こんな先輩、先生、仲間達に囲まれて本当に幸せでした! 友が丘の駅伝部ほど、恵まれた環境は無いと思います。

  

 

 ・藤中志穂 女子キャプテン

 

とうとうこの時期が来てしまいました…。早い、早すぎる!!気が付けばあっという間の3年間でした。まずは少しだけ振り返りますね。

 この3年間は私にとって初めてのことばかりでした。初めての競歩、初めての故障、初めての部長…と良いことも悪いことも経験させてもらいました。初めてした競歩は見ているよりずっと難しく、しんどいものでした。1年のユース前に大江先生から突然言われて、訳の分からないまま競歩の練習をしたのを覚えています。練習もままならないまま試合にでて、県に進み、運がいいことに近畿まで出場することができました。個人で近畿大会に出られるとは思っていなかったので、素直に嬉しかったです。ただ、競歩に関して言えば、3年生の点取りで最後の競歩が台風で出られなくなってしまったことは心残りです()初めての故障は想像を絶するほど辛かったです()けれど、故障をしたからこそ走れるということがどんなに幸せであるかということが分かりました。でも、故障はしないのが1番!!最後に、初めての部長はとてもやりがいのあるものでした。部長を任された当初は不安ばかりで、自分のすべきことで精一杯でした。4月に新入生が入部し、キャプテンという実感が出てきて、周りのことも見られるようになってきました。どうしたら良いのかわからないようなことも多くありましたが、他の3年生や部員に助けられ、無事キャプテンという大役をより遂げることができました。私にとってこの部長という経験は、宝物です。

 この須磨友が丘で陸上部長距離の部員としてさまざまな経験ができ、本当に嬉しく思います。泣いたり、笑ったり、支えあったり、喜怒哀楽を共に分かち合い過ごせたことは、私にとって忘れられない思い出となりました。みんな、ありがとう!!!

 

 ・丹下公美子

 

私の3年間。もう一回やりなおしたいとかは思いません。それくらい頑張れた3年間でした。正直、嬉しいことよりも辛いことのほうが多かった。それでもここまでやってこられたのは、本当に周りの人たちに恵まれていたからだと思う。3年間はやり直したくないけれど、今のチームのみんなともっと一緒にいたいという気持ちはすごくあります。そんなことを考えるようになったのも、本当に最近になってからです。

1年生の時は、意識がめちゃくちゃ高かったです()そのせいでいろんなものを犠牲にしました。あの頃の自分には絶対戻りたくないです…みんなにもいっぱい迷惑をかけたし辛い思いをさせました。それに身体のことを全く考えていなかったので随分身体に負担がかかっていました。その頃の私は補強を絶対毎日寝る前に30分しないと気が済まなかったし、15階の家まで毎日階段で帰ったり、自主練の日は自分で計画して距離踏んだりスピードもやってそれができなかったらすごく罪悪感がありました。冬なんて疲れすぎて午後練習まで体力が持ちませんでした。でも私は練習をつけないことが多かったけど、練習以外の場所で誰にも負けない練習ができている自信があったから、疲労を抜いて出る試合では走れました。春先にベストが出て兵庫リレーカーニバルで優勝することが目標でした。でもこの後のしあわせの村合宿で故障してしまって、リレカも棄権という形になりました。故障をして、自分がどれだけ弱い人間かわかりました。だから、今は故障して良かったと思っています。するべきだったと思います。辛いときこそ頑張れる人が、強いと思います。私はタイムでは速い選手だったかもしれないけど、強い選手ではありませんでした。インターハイにはぎりぎり間に合って、県ではベストも出たけれど、7位で近畿大会に行けなくてすごく悔しかったです。でもみんなのとこにいったら泣いてくれる子がいて、奈津美が人の走り見て初めて泣いたと言っていてその言葉にすごく救われた気がしました。          

それから1年全くベストが出なくなるわけですが、今まで身体を酷使したぶん、体中に弊害がでていてそれと向き合うための1年だったと思います。いっぱい病院行ったな、ほんとに()3年の初めにいい先生に出会えて、3年になってやっと心も体も安定してきた気がします。やっと自分の体と相談してできるようになりました。

やっぱり一番印象深いのが3年生の1年です。3年生になってやっと、駅伝の本当の意味がわかった気がします。本当は、2年生の春からベストが出ていなくて、本当に5区を走っていいのかなと不安になったりしました。真由とふたりで、全然ベストが出ないから不安で記録会の後先生になんでこんなに記録が出ないのかと聞きにいったりしていました()それに私は目指すものがあったので3000mのタイムは絶対に出しておかないといけないという気持ちもあり焦っていました。10月の中頃に、静岡で記録会があり、それに先生が遠方まで車を運転してくださって参加できることになりました。この時は、タイムを出さないといけない、でもでなかったらどうしようとかいろいろな気持ちがあって、試合前の先生とのミーティングで泣き出してしまいました。でも先生にそんなこと考えなくていいと言われてどこか吹っ切れて走りました。そうしたら1年半ぶりにベストが出ました!!2秒だけだけれど、前はいろんなことを犠牲に走っていたときだったので、この1年自分の体とちゃんと向きあえて出せたこの記録はそれ以上に価値のあるようなものに思えました。本当に辛かったけど、やっと報われた気がしました。辞めずにここまでやってよかったと思いました。泣きながらお母さんに電話しました()この記録会で自分しか5区は走れないという自信もつきました。ちょっと心残りなのは、みんなの前でベストが出せなかったことです()あっという間に地区駅伝になって(秋はほんとに時がたつのが早い!!)、次期キャプテンである早理、1年時からずっと笑顔でサポートに回ってくれたみっかーと同じチームで走れたことも一生忘れません。県駅伝までに確実にみんなのムードは良くなっていたと思います。1週間前の試走では、ラストの鳳鳴高校の坂を色んな状況を想像しながら何往復も走りました。30往復はしたかな()良いイメージを頭に焼きつけました。当日は、緊張はあったけど、楽しみな気持ちのほうが強かったです。夏からずっと5区を走ってきて、他の学校のどの5区の選手よりもこのコースを知っている、走っている自信がありました!!なんだか本当に自信しかなかったなあ()自分が一番でゴールするところしか頭にありませんでした。走り出したら、これが先生の言うプラスアルファの力かと思いました。正直、2年生まではプラスの力、というのを分かったつもりになっていました。しんどくても、みんなの顔を思い浮かべたら頑張れる。緊張しても、みんなの顔を思い出したら大丈夫。自分でも今までにない感情で走っていることにびっくりしました。こんな気持ちになれたのも、今までで一番このチームが好きになれたからだと思います。私は、1年生から、駅伝をずっと走って来たけれど、今年が一番周りのサポートが最高で、走る人も走らない人も1つになっていると感じました。県では、みっかーに付き添いをお願いしたら、本当はゴールを見たかったのに、快く引き受けてくれて、すごくうれしかったです。今までで一番、またこれからもないだろうというくらい最高の付き添いをしてくれました。チームのみんなが、走る選手のことを考えていて、本当に涙が出るほど嬉しかったです。これが全員駅伝かと思いました。都大路は、叶わなかったけれど、本当に県の前日は全員がいけると思っていたと思います。駅伝が終わった後も、もっとみんなで練習したいという思いがわき出てきました。あんなにしんどかった篠山の山を、またみんなで走りたいって思っていました。都大路を目指してみんなと頑張れたことが私の一生の思い出となりました。

私は弱い人間なので、本当にひとりではここまでやってこられなかったと思います。周りの人に本当に恵まれた3年間でした。須磨友が丘に来て最高の仲間、先生に出会えたことを本当に嬉しく思います。3年間一緒に頑張った27回生のみんなのことが大好きです。落ち込んでいる時はいつも気にかけてくれてありがとう。この学年やったから強くなれたし、やってこられたと思う。偉大なる大江先生には、本当に感謝しています。こんな選手思いの先生は他にいません。進路が決められたのも、大江先生のおかげです。陽子先生には、体も心もケアしていただきました()陽子先生とお話すると、すごく元気になれました。ありがとうございました。

一番お世話になったお父さんお母さん。特にお母さんはいつも応援してくれてご飯を考えてくれて感謝しています。皆の中で一番身体に良い食事を作ってもらっていた自信があります() 静岡の前のメールは泣きました()印象に残っているのが、筋肉痛がひどすぎて身体が重すぎた1年の女子選抜の時、もう今日はむりやわって言っていたら「そんな気持ちやったらそりゃ勝てへんなぁ」って言われて、気持ち切り替えたらベストで優勝できました()それからずっとどんな状態でも可能性はあると思って頑張れています。お父さんは、温泉にいっぱい連れて行ってくれたし、初めてお母さんと2人で試合を見に来てくれた時はすごく嬉しかったです。ありがとう。

先生たちにもみんなにも、また直接書くのでここでは省きます()

 

自分の経験から伝えたいことは、本当に自分の体は一番大切にしてってこと!

あと仲間は本当に本当に大切にしてください。これが私の唯一後悔していることだからです。

 

とにかく中学から陸上をやってきた6年間、本当に良い先生と仲間に恵まれたことが、私のいちばん自慢できることです。大学では、みんなに良い報告ができるように頑張ります!! 私も、友が丘の駅伝を何年たっても応援します!! 友が丘らしく笑顔のみんなでいてください。ENJOY RUNNING♪

最高の思い出を、ありがとう。みんなのことがだいすきです。

 

曽根明恵

 

いよいよ文集ですかー()3年なんてあっという間ですね!

この3年間は今までの人生の中で1番充実した日々でした。

私文章力0なんで急に話とぶ&小学生レベル&長いですが

最後まで読んでくれると嬉しいです。

 

私は最初のしあわせの村合宿でアップにもついていけず、こんなん無理だと思いました。

練習も1年生だけの班でも地獄で、シンスプぶり返して、補強班も地獄で散々でした。。。家に帰ってもずっと病んでいたけどお父さんが「自分で決めたことやから最後まで頑張り。」って言ってくれたから続けることができました。今だから言えるけどお父さん、ありがとう。

1年生では駅伝メンバーに入れませんでしたが2年生の時にやっとメンバー争いができるところまで成長できました。秋に大ベストが出て、このまま伸びたら駅伝で走れる!って嬉しかったけれど、スピード練習のたびに試合みたいな緊張と負けたらどうしようという不安で一杯でした。苦しくて、つらくて、部活が嫌になった時もありました。最後の練習まで気を抜きませんでしたが、結局Aチームでは走れませんでした。メンバー発表の時、わけわからないぐらい泣きました。自分でもあんなに泣くとは思ってなかったです←。

県大会前の6人でのミーティングで大江先生が「この中で1番悔しいのは曽根や。そのことを忘れたらあかん。くらよしと地区、両方1区を走った曽根がおるから安心して走れるんや。」と言ってくださいました。この言葉は私にとって、とてもとても支えになりました。一生忘れないと思います。

3年生のラスト1年は1番思い入れが強いです。全員で全国を目指しました。初めはあまり実感というか現実味がなかったのですが、駅伝シーズンになるとわくわくしてきて本気で目指そうと思うようになりました。山のぼったり、強化合宿をしたり、御祈祷もしました。つらかったけど今になってはいい思い出です(^ω^)その時期でもタイムは5番以内ではなかったので、必死に練習を頑張って駅伝を走るためやったら、しんどくない!とずっと言い聞かせて練習していました。その結果、県の4区を走らせてもらえることになりました。ミーティングが終わった後、私だけじゃなくてみんな泣きました。嬉しかったけど悲しかったです。去年に負けないぐらい泣きました。駅伝当日は緊張しまくりで危なかったです()みっちゃんが付き添いでいてくれてよかったと思います。まゆっこが来たときとか緊張がピークでした。。。めっちゃ叫んで襷もらって市尼についていきました。何を思ったのかわかりませんが1000mもしないうちにぶっとばして市尼抜かしました。謎です()陽子先生にかなり心配されました()体力がもったのはコースの途中にもたくさん応援してくださる方がいたからだと思います。ラストの坂もいっぱいいてくれて泣きそうでした。完全燃焼してくみちゃんに襷を渡せたけれど、あと1秒で三木を抜けなかったのが心残りです。帰ってきてしほのお父さんに区間3位って聞いてしほのお母さんと喜びました。一瞬藤中家の家族になった気が()。みっかーも一緒に喜んでくれてすごく嬉しかったです。走れてよかったと思いました。終わりのミーティングの時に気が付いたのですが多くの先輩方、保護者の方など応援してくれている人がたくさん来てくださっていました。本当に友が丘は環境に恵まれていると実感しました。近畿大会は走ることができず悔しかったのですがチームとして悔いのなく笑顔でおわれる結果を残すことができてよかったです。

陸上生活で1番忘れられないのが駅伝の後、9分台を出せたことです。先生に「お前は9分台出すまで引退できへんぞ」と最初言われたときは焦りました()でも自分を信じて最後の1秒まで諦めなかったから出せた結果だと思います。最後の最後まで多くのことを学ぶことができました。

 

高校生活の3年間は一生忘れません!!!

楽しく苦しく充実した3年間をありがとうございました!!!

 

細野真由

 

私が今一番思うこと、それは友が丘駅伝チームに入って本当に良かったということです。毎日が充実していてあっという間の3年間を過ごすことができました。きっと友が丘に入学していなかったら今の自分はいません。

 私は中学のときから陸上をしていたけど、駅伝でも個人でも県大会に出場したことがありませんでした。それが悔しくて高校でも陸上をやろうと決めました。初めはアップだけでもしんどくてこの先やっていけるか不安でいっぱいでした。朝起きるのが中学生のときに比べて2時間以上も早くなったり、補強をしたり、2部練習に変わったり、長い距離を走ったり… 初めてのことがいっぱいで慣れるまでが本当に大変でした。毎日ががむしゃらだった気がします。でも慣れたころには結果が自然とついてきていました。初めて県大会に出場したり、近畿大会に出場したり、タイムが出る度に陸上が好きになりました。

 私がこのチームにいて1番心に残っているのは、やっぱり駅伝です。あまり駅伝に良い経験がなかったのですが、高校生になって初めての駅伝に出場させてもらい考え方が一気に変わりました。とても駅伝が大好きになりました。こんなにもたくさんの方々から応援される学校は友が丘だけだと思います。周りの環境にとても恵まれている学校です。そんな環境で駅伝ができたことを誇りに思います。

駅伝について振り返ると、1年生のときは迷惑をかけないように必死に走った記憶しかありません。そして初めてあんなに緊張したっていうくらい緊張しました。2年生のときは、駅伝シーズンが一瞬でした。歴代最高の県で2位をとることができました。その時は須磨学園に離されてしまい悔しかったけど、今思えばみんなが全力を出しての結果であり誇れることだと思います。そして3年生。去年も一瞬だったけど、今年はもっと一瞬でした。都大路を目指してみんなで頑張りました。今まで以上にたくさん走りました。『都大路を目指している』と心からいえるチームだったと思います。しかしながら、結果は3位でした。とても悔しかったです。でも今まで全力をそそいできた結果です。このチームで都大路を目指してやってきたことが一生の財産になると思います。最後の近畿駅伝は、みんなで笑顔で終わろうと決めていました。結果は歴代最高と同じ5位でした。最高に楽しく走ることができました。最後の駅伝を笑顔で終わることができて本当に良かったです。

 振り返れば色々なことがあったなぁと思います。決して良い思い出ばかりではなかったけれど、思い出されるのは良い思い出ばかりです。陸上をやってきて本当に良かったです。このように思えることができるのも、周りの人たちのおかげです。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

本当にありがとうございました。

 

 ・三上真祐

 

 ついにこれを書くときがやってきたんやなぁと思いながら書いてます。

まず友がの駅伝チームとして過ごした3年間はめちゃめちゃ充実してて一生の思い出に残る3年間やったと心から思えます。

メンタルやられるようなしんどい練習もいっぱいあったけど、今思うと先生はうちらならできる!って思ってたからビックリするような練習メニューを考えてくれたんかなって思えます。1年の頃は故障が人一倍多いし、スピ練嫌いでよくカットしちゃってたけど、カットせずケアとかもちゃんとしてくうちにしだいに走れてきてタイムもだんだん伸びていきました。友が駅伝チームやったから中学までは市で決勝にもいけんかった自分も県いけるようなったし、競歩では近畿が狙えるくらいまで成長できたんや思う。

そしてなにより3年間、しんどくてもやりきれたんは本当に27回生のメンバーのおかげです。特に女子!!入部したときからすごい速くて、駅伝でも活躍しててあこがれてた。1年の時からそんな姿を見てるうちに自分ももっと強くなってみんなと走りたいって思えてだから少しでも追いつくために必死になれました。男女の仲よくて、よく食べて、元気いっぱいで悩みとかなんでも話せる27回生の8人、3年間ほんまにありがとう(^v^)感謝感謝でいっぱいです!!27回生最高♪

この3年間、充実した陸上生活を送れたのは回りにたくさんの支えてくれた人がいたからです。先生、地域・近所の人、クラスの友達、家族、他にも多くの人が見守ってくれて応援してくれたから一生残るような想い出がたくさん作れたんやと思います。

ただ平凡な高校生活ではなく、我慢しないといけないことも少なくなかったけど、その分今までの自分よりいろんな面で成長できたから友がの駅伝チームでやると決めたことに間違いはなかったです。きっと他校やったらここまで成長できんかったはず。

私は本格的な陸上生活はこれで終わってこれからは夢をかなえるために違う道に進みます。でも、友がで陸上をして走ることが好きになったのでこれからも市民ランナーとして走りつづけます!!

 

和田奈津美

  

   3年間でたくさんの嬉し涙を流しました、同時に自分の強さを知りました。

 

3年間でたくさんの悔し涙を流しました、同時に自分の弱さを知りました。

 

3年間、ありがとうございました。

 

 

 

26回生 (2010年度卒業)

 

 ・桂優伍 男子キャプテン

 

僕はこの須磨友が丘高校でいろいろな事を学びました。(授業は例外) それは部活での練習の事から高校生、一人の人間として当たり前にする事まで幅広いものでした。(勉強は例外)

1、2年生の時は何事には、こけてばかりで、上手くいく事なんてあまりありませんでしたが、そこからたくさんの事を学んで、3年生では1、2年生の時にはできなかった事ができるようになり、一回りも二回りも成長できたと思います。それは3年生になってテストで赤点をとらなくなったのも一つですが、何より競技面で大きく表れたと思います。この3年間で学んだ事はとても大きく、そこから高校生活での個人の一番の目標を達成する事ができました。それは一人では決して達成する事はできなかったという事も学びました。だからこれからは、この3年間で学んだ事を生かしていく人生、そしていろんな人に伝えられる人生を送れればなあと思います。(勉強は例外)

 

山口良輔

 

どーもどーも。皆思っていることだと思いますが3年間は本当に早いですね!!とりあえず書いていきます。

今思っていることはこの友が丘高校駅伝チームに入って本当によかったなあって思ってます!なんか言葉ではいまいち出しにくいんですけどなんか・・こう・・・なんか感覚であります。笑 とりあえず皆楽しく走ってほしいです。 長距離は特に楽しまないとやっていけない競技だと思います。あれだけ頑張ったのに記録が出なかったり、走りこむ時期に故障してしまって精神的に辛くなることは必ずどこかであると思います。その時は焦って無理に走ったり、練習量をもっと上げるとか、自分ひとりで抱え込むんじゃなくて、せっかく一緒に練習してきた仲間とか先輩がいるんだから相談したらいいと思います。そうしたら、何かいい補強の仕方を教えてくれたり、アドバイスをもらえると思います。それに焦って狭くなっていた視野も今まで以上に広がって、今まで以上に仲間の大切さを実感できると思います。実際自分は3年目でやっと分かりました。駅伝前で故障して焦りしかなかった時には話すだけで話す前とは考え方が変わったし、後輩も心配して声をかけてくれてほんまに嬉しかった!!あの時初めて大切やと思いました。もっと早くに気づいてたらなあ~ってのが唯一の後悔です。後は悔いは無いです!!・・・っていうのは嘘です!!笑  駅伝は自分個人として悔いしかないです!大江先生、坂本さん、河合先生、男子の皆、なにより親にはほんまに申し訳ない気持ちでいっぱいです。この悔しさは大学にいってぶつけてきます!!結果を絶対残します!!それで恩返しできるようにします!!!

言いたいこと言葉にするの苦手なんでなんかぐだぐだなったけど一言でカバーしましょう。笑

 

 ・石原太陽

 

この文章を書くにあたって…「もう文集書く時期になってんのか」と改めて感慨にふけっています。

いくらなんでも早すぎるなと思う。この気持ちは誰もが持っているものだから、万人に理解のできる感情だろう。まあ高校という、ただ通り過ぎていく空間にいたわけだからこの時がくることは分かっていたけれどやっぱり寂しい。もう友が丘のグラウンドで練習することがない。先生のミーティングを聞くこともない。皆と毎日会うこともない。ないない尽くしだ。こんなに気の抜けたことはこれからもないかもしれない。

まあ、この3年間は前述したとおりものすごく早かったです。1年の頃はこの環境に流されまくったし、2年の頃は故障やらなんやらで無駄に過ごしていた気がする。ただ、この3年生の1年間は努力したつもりです。それは近畿駅伝出場の目標には届かなかったけれど、この1年に関して悔いはない。それにしてもまあ…県駅伝の3区はひどかった。もうこれ以上ないくらいにね。大江先生に3区と指名され、皆からも認めてもらえた。あんなに嬉しくて、興奮して、でも、怖くて、辛くて、不安になったことはない。いろんな感情が交差して自分が何考えているのかもよく分からなかった。そんな状態で走って、それがあの結果だった。走り終わってからはその気持ちに耐えられなくて泣いてしまった。自分はなんてことをしてしまったんだろうって。皆の前に立つのは嫌だったけど、こんな僕でも労ってくれた。僕がそっちの立場ならそう簡単に許してなんていられない。そんな皆の優しさに僕は感謝します。

あと…3年間思ってたことは努力することがどういうことか、だ。まあ、世の中どれだけ努力努力と言っても才能というものは厳然としてある。これは真理だと思う。同時に、本気で強くなりたいって思っているやつは放っておいてもある程度までは強くなる。本当に方法論が必要なのはそこからだと思う。そのある程度がどれくらいなのかは良く分からないけど、それも個人で差がある。成長速度の遅いやつもいる。その差を埋めるためにすることが努力なんだと思う。ある程度、がむしゃらにやったってそれ以上強くならない。そういうレベルまではスピ練増やすとかそんな浅はかなことしないでただ努力し続ければいい。そうすれば全員が良い結果が生まれると思う。方法論が必要な人は全国インターハイに行くような人だから全員が考えることはないし、考えたとしてもそれまでに努力をしてこなかったやつに選べる方法論なんてないと思う。つまり、先生の言うように食事や生活習慣に気を配ることは大事ではあるけれど、そんなことよりも最大の努力をしようってこと。そうしている人ってのは単純に強い。藤原先輩とか飯尾先輩とか桂はごちゃごちゃ考えずに頑張ってたからあんなに強かったんだなと今になって分かった。僕はそれに気づくのが遅すぎたな。中学の頃から分かっていたらどうなっていたのかな。

う…なんか何書きたいのかイマイチ良く分からん。こりゃあ駄文だな。

 

   ・木村友彦

 

もう文集を書く時期が来てしまいました・・・。3年間がほぼあっという間に終わった気がします。

 部活に入る前には先生から「慣れたら楽に感じる」と言われましたが、実際は経験のなかった朝練習、「そんなに?」と言わんばかりの補強運動、終わりが見えなかったジョッグが毎日のように続き、1年生の時に何回体調不良で休んだことか・・・。おまけに中学時代のベストを抜いたのは2年生の夏ってもはやネタでしかない笑

でもなんだかんだで3年間楽しく充実した部活を送れたと今は実感しています。また運のいいことに大学でも競技を続ける機会を与えてもらいました。(まさか中学の時に消去法で選んだ部活がここまでいくとは・・・笑)大学では最後まであきらめずに頑張りたいなぁ・・・

 

 ・小宮駿祐

 

もう、文集を書く時期になりました。ということで、がんばって書きましょう。

まず、指導してくださった大江先生、田中先生、ケアなどしてくださった坂本さん、森田先生、合宿などでお世話になった西畑先生。3年間、ありがとうございました。

この3年間を振り返ると、陸上漬けという言葉通りの生活でした。授業の記憶があまりありません() 理由は…だいたい想像がつくと思います。(…zzz)

1年の時は、環境に慣れるのが大変でした。

2年の時は、春先は貧血で、秋はインフルで、冬には故障もして、ボロボロでした。

3年なってからも、タイム出なくて、「今年で最後やのに」って焦ってた。県インターハイは競歩でいけたけど、失格してしまいました。夏休み入ってからも、故障したりして、思うように走れんくて、焦ってばっかりでした。秋に入ってようやく調子上がってきて、最終的に日本海と県で7区、市で6区を走らせていただきました。

この調子いい時期に一番感じたんが、「レースは気持ち次第」っていうことです。気負いしすぎるんはあかんけど、レースの結果は気持ちで決まると感じました。

この3年間はいろいろなことがありましたが、この友が丘で走ってこれてよかったです。

 

永森玲於那

 

とうとう僕がこの文集を書く番になりました。あまり上手に文章は書けませんが一生懸命書こうと思います。最後まで読んでいただけたらうれしいです。

今思えば高校3年間よく最初から最後まで陸上を続けることができたなと思います。僕は中学のとき剣道部に入っていて、真剣に走ること自体校内のマラソン大会ぐらいでした。だから高校で陸上をするつもりは全くありませんでした。それでも僕が高校で陸上部に入った理由は剣道を続ける気はなかったけど何か部活には入ろうと思っていたときに部活動紹介で友が丘はウエイトリフティング部と陸上部が強いと知って、ウエイトリフティングよりは陸上のほうが自分にあってると思う、それだけの理由でした。この理由が高校の部活動を決める上で正しいか正しくないかは分かりませんが、そのときの僕は中学のときに剣道で神戸市大会止まりだったので競技は何でもいいからもっと上位の大会に進みたいと思っていたのだと思います。

いざ練習が始まってみると陸上競技の楽しさを知りました。もちろん走るというのは楽じゃないし絶対にしんどいことだけど、なぜか楽しかったです。そして夏休み、生まれて始めて合宿というものに参加させていただきました。合宿の練習は学校の練習よりも時間も距離も長く1年生の僕にとってはとてもしんどいものでしたが、部活の仲間と宿舎で喋ったりご飯を食べたりと、とても楽しかったです。

そして夏休みがあけて秋になり駅伝シーズンが始まりました。高校まで陸上にまったく興味がなくて、選手の名前なんて全然知らなかったし、駅伝すらまともに見たこともありませんでした。そんな僕が駅伝にチームの一人として参加させていただき肌で駅伝の素晴らしさを感じることができました。

そして駅伝シーズンが終わり冬になりました。冬は陸上にとって距離を踏む季節なので、スピード練習なども少なく淡々と距離を踏みました。けっして楽しい練習とは言えませんが春のトラックシーズンに向けてがんばりました。

2年、3年の分を書くと長くなるので陸上の思い出はここで終わりにしたいと思います。これは決して面倒だからではありません。今、自分の陸上の思い出を書くよりも後輩に向けて書きたいと思ったからです。

これから2年間、1年間とそれぞれ部活していく1年生、2年生にひとつだけ。陸上競技者として弱かった僕が言うと自分のことは棚に上げてと思うかもしれませんが、意志を強く持って陸上競技に挑んでください。意志は何でもいいです。駅伝で勝ちたい、トラックで何分何秒を切りたい、誰かには絶対練習でも試合でも負けたくない・・・など、本当に何でもいいです。僕は意志が弱かったので駅伝でもトラックでも良い結果を残すことはできませんでした。1年生、2年生、それぞれ自身の陸上競技を強い意志を持って挑むと必ずいい結果が生まれます。

 

最後に・・・

大江先生には今まで多くの迷惑かけてしまいました。本当にごめんなさい。近畿大会に出場するという最高の形で恩返しすることはできませんでしたが、僕が3年間須磨友が丘陸上競技部で活動してきたことは18年間生きてきた中で一番素晴らしい3年間でした。本当にありがとうございました。

お父さん、お母さん、言葉では言いづらいので文章で伝えたいと思います。生活面から勉強面そして部活のことまでサポート本当にありがとうございました。陸上に関しては恩返しすることはできなかったですが、勉強に関しては少しできたかなと思います。けどまだまだこれからですので、がんばっていきたいと思います。僕にとって高校3年間は止まらずに走り続けた3年間だったのであっという間でしたが素晴らしいものでした。本当にありがとうございました。

最後になりましたが須磨友が丘陸上競技部を応援してくださった方々、本当にありがとうございます。男子は人数が少なくすこし寂しい感じがしますが、須磨友が丘陸上競技部は決して人数ではありません。(人数が多いことに越したことはないのですが・・・)。女子はまだまだ大きく成長するチームで、今年の結果では満足してはいないはずです。これからも変わらず男女揃って須磨友が丘陸上競技部の応援をよろしくお願いします。

 

  ・福山直

 

この文集を書く時か。他の人の見るのは楽しいけど、自分が書くとなると辛い。

最初に言っておきますが、文章は苦手ですので短いです。この部では、走るだけでなくいろいろな経験をつませていただきました。この3年間短かったですが、書くとなるといろいろ思いだします。

はじめて見学に行ったとき、ちょうど補強の時だったんですが・・・正直最初は、コイツらこんな真剣になにやってんねん?何部?陸上部?と思っていました。しかし、「走るには補強も大切だ」と聞いて補強の大切さを知りました。

まあ、自分は故障が多かったので、なんとか走れたのは補強のおかげだと思っています。最後には駅伝にも出してもらうことができたのも、補強が走りに繋がっただからだとおもいます。

 

小南洋祐

 

えぇ~。う~ん。っとまぁ・・・早いもんでもう自分が文集書く番やねんな。

高校3年間は本当に一瞬やった。ってこれ書いてるときはまだ学校生活残ってるけど(笑)なんだかんだで部活やってた気がする。1、2年は特にそうやったと思う。3年は受験で6月には辞めてたけど、試合の結果聞いたりして皆がベスト出したりしてるの聞いて嬉しかった。嬉しかったし、自分も勉強頑張ろうって思えた。なんだかんだいっつも支えになってた。勉強しんどいときも、皆もしんどいのに引退した俺が1人怠けてたらあかんって思ったら頑張れた。まぁ、3年は部活が受験勉強に変わっただけやったな。

この須磨友が丘の陸上部に入って本当によかったって思う。それは、良い顧問の先生を持ち、良いトレーナーの方を持ち、良いOBOGを持ち、もちろん良いチームメイトを持っているから。とてもたくさんの事を学べた。ありがとうございました。短いけど、その方が読みやすいだろう!!(笑)

 

橘ひかり 女子キャプテン

 

もうこんな時期ですか・・・。去年先輩たちがせっせと文集作ってたことを思い出します。長くなるかもしれへんけど、皆に読んでほしいです。あーー。3年間思い出すと部活の思い出しかないな。笑ったり、泣いたり、怒ったり。喜怒哀楽やった。

 

3年間の中で1番心に残っていることは、やっぱりインターハイで全国目指せたことです。

「これまでにない!」ってくらい人生かけて頑張ったからめっちゃ悔しい。 近畿で最後争う100mの間、「沖縄行きたい!沖縄行くのはうちや!」って叫びながら歩いた(笑) 負けたときは、悔しいなんて言葉では表せへんほどでした。大江先生と一緒に沖縄行きたかった~! だけど、大きな大会に出場できて、経験できて良かったです。応援してくださった皆さん、ありがとうございました!しほちゃんとくみこちゃんには手紙もらって、くまはミサンガ、すずは「歩」お守り。ありがとう。私に競歩を教えてくれた静ちゃん先輩、麻由佳先輩、奈美先輩、内藤先輩(笑)感謝してます!!

この3年間いろんなこと学んだけど、1番学んだことは人に感謝することです。 1、2年生のみんなはこれから楽しいことばかりじゃなくて苦しいこと、つらいことたくさんあると思うけど、何事も絶対に諦めないで!!自分で限界決めないで、当たって 当たって 砕けまくれ~~~!!!そんな自由で楽しい人生、一緒に送りましょ★

 

高谷美翔

  

この3年間は部活の思い出ばっかりです!まず、しあわせの村合宿から私の高校生活が始まりました。何もかもが新鮮で楽しかったはずなのに寝言で「明日で帰れるー!」って叫んだ私です、正直こんなんでやって行けるか不安でした。1年の夏は長かった。淡路合宿。神鍋合宿。篠山合宿。神鍋のクロカンは化け物やー。怖くなった。まさか1年の間にあのクロカンを二度経験するとは考えてもなかったです。1年生の時に経験した駅伝は忘れられません。練習すれば記録がグングン伸びて、地区駅伝ではAチームで走ることができました。県駅伝では姉と襷渡しをするという中学生のころからの夢が実現できたし、近畿駅伝という大舞台を選手として走らせてもらえました。全国大会にわずかに届かず、悔しい結果になってしまったけど、このチームを越えることは出来ないと思うぐらい最高の瞬間を味わってしまいました。先輩が引退したら一気に寂しくなってしまって、不安がでてきたけどがんばらなって思いはじめました。
 2年生になると元気な後輩が6人も入ってきて「負けへん」って思ってたけどすぐに記録を伸ばしてきて、一番私が恐れてた記録の伸び悩みに。苦しかった。親に申し訳なかった。私だけかなり離されて、走っても走っても身体が重くて試合が終わるたびに「しんどい」、「もういや」って思った。でもせめて競歩で記録残そうって決めた。地区IH15分台でベスト出せて、本当に嬉しかった!心臓つぶれそうなくらい歩いた!!笑 県IHで大江先生に「近畿狙える。」と言ってもらい、ウキウキした。その時に新型インフルエンザが流行って、家での自主練を頑張ったつもりでした。家族にアドバイスたくさんもらって、近畿行ける!って思ってたけど、結果は5位でとにかく悔しくて泣いた。お母さんも涙を流してて、もっと頑張らなって。来年は絶対に近畿行くって誓った。そしてすぐに駅伝シーズンになった。なのにやっぱり走れなくて、県駅伝が終わったあと隠れて泣いた。あー泣いてばっかり。笑やっぱりメンバー争いしたかった。2年生は毎日マイナスなことばっかり考えて過ごしてた。でも、みんなが楽しそうに走ってる姿を見てたらなんか気分よくなるねん。だからやめられなかった。自分が思っている以上に陸上好きやねんなあって思えた。
 3年生になって、今までと変わらずのんびりしてた。しっかりしなとか考えてるとIHの季節になって、「今年こそは競歩で近畿!」と目標を立てた!けど簡単ではなかった。今年から近畿に行ける枠が一つ増えた。そうしたらみんな狙いに来るし、地区IHの地点でわたしのタイムは5位。ひかりは14分台で歩いちゃう。ここで無理かもってあきらめかけた。でも踏ん張らないとチームにいい雰囲気を与えられないし、なにより私は家族に対して「やったよ!頑張ったよ!」って言いたかった。県IHまでほんとにあっという間に流れた。気づけば本番に。競技場に着いたら一瞬にしてスタート場所。パンッ!一人飛びたした。やばい6位。でも大江先生が「あきらめるな!」って言ってくれたおかげで落ち着いて行けました。そしたら前の子が落ちてきた!タイムも狙っていたから必死に行った!!ゴールした後、やり切って座り込んだ。そしたら田中先生が「おめでとう」って言ってくれて初めて気づいた!目標達成できた!嬉しかった!!この時はにほんとにほんとに嬉し泣き出来た◎みんなには状態がきつくてもあきらめないでほしい。しんどいのはみんな同じだから、そこで自分を見失わないこと。これだけは伝えたいと思います。

 

    ・熊智奈美

 

 とうとう自分もこの文集を書くことになっちゃいましたね(泣) ちな先輩かよ~  後で読も!じゃなくて、今すぐ読みなさい!

 1年のときは、チームに慣れるのに必死で、入学する前は、都大路って何?みたいな状態やったんで、もう何がなんだか…とりあえず走っとけ!!って感じで、大した記録も出せずに、あっという間に1年が終わりました。今思ったら、ほんまこの1年無駄にしたと思う(;_;)

 2年になって、1年生が入ってくれたけど、皆、自分が想像してた以上に速くて、凄く焦りました。でも、1年の時に先輩とか美翔が走った駅伝見て、「来年は絶対に走りたい!!」って思ったし、こう見えても負けず嫌いな所あるから、「1年だけには負けたくない。」って思って必死に練習しました。自分なりに努力はしたけど、すぐには結果に結びつかなくて、インターハイの3000mの枠は1年生にとられるし、1500m出て、地区予選落ち。この時はほんまに心折れました(笑)でも、こんな性格やから、すぐに立ち直って、弱音吐きながらも、先生が夏前のミーティングで言った「夏に頑張れば、その分秋に記録出る」っていう言葉信じて、どんだけしんどくて辛い夏練習も自分なりに頑張りました。

夏休みが終わって初めての試合が点取り。20秒ベスト更新できて、ほんまに嬉しかった!でもこのタイムじゃ5人の枠には届かなくて、「もっと頑張らな!」って思って、この時期は毎日がむしゃらに走りました。2週間後の尼崎でもベスト。次の神戸でも12秒ベスト更新。2日後の女子選抜でもセカンドベストで走れて、そこで初めて、自分に自信が持てて、ここまできたら絶対にメンバー入りたいって思いました。この年の市駅伝はBチームやったけど、県と近畿駅伝はメンバーとして、走ることができました。「走りたい」っていう気持ちはあったけど、いざ走るとなったら2日前からめっちゃ緊張して、無口やし、ご飯食べれんし、寝違えるし…(笑)ご迷惑おかけしました。県の区間3位、近畿の9分台は、この年で一番嬉しかったです。この時に、努力は絶対報われるんやって、凄く思いました。

駅伝が終わって、次の目標は、4月にあるリレーカーニバルの参加標準1010秒を突破することでした。3月の尼崎実業団がラストチャンス。これまでに、101021101085と、後一歩の所で10秒の壁を越えられていませんでした。すでに突破していた4人は同じ日に、松江レディースロードがあって島根に行かないといけなかったのに、私1人のために、陽子先生は朝一で身体整えてくださって、4人の後輩は手紙くれて、「絶対に一緒にリレカ出ましょね」って言ってくれて、ほんまに嬉しかったです!先生も私のためにわざと厳しい条件で、厳しい練習メニュー組んでくださって、当日も「いつも通り走ったら、絶対に切れる」って言って、背中押してくださいました。でも、ラストチャンスをものにすることはできませんでした。大江先生、陽子先生、応援してくれたみんなに申し訳なかったし、自分のふがいなさを凄く感じました。でも、この努力を絶対に無駄にしたらあかんなって思って、インターハイでは絶対に良い記録出す!って決めました。

3年になって、春先は自分が思っているような走りは全くできませんでした。どれだけ頑張っても全然走れない自分に腹が立ちました。高校生活最後のインターハイの種目は3000m。種目を言われた時は不安しかありませんでした。決して調子が良いとは言えないし、自分より速い子は他にもいました。そんな不安な気持ちを抱えたままあっという間に神戸地区予選はきました。見事に撃沈して、6位以内で予選通過することさえできませんでした。ぎりぎり+αで拾われての県インターハイ出場でした。別に故障してる訳でもなかったのに、貧血でもなかったのに走れない自分が本当に情けなくて、この時はどれだけ走っても自信持てなかったです。この時期は走るのが怖かったです。

地区予選が終わってから、出来る事は全てしてきたつもりだったけど、何回記録会に出ても全くタイムはでませんでした。でも、周りの人は見捨てずに「絶対に大丈夫!今は踏ん張る時やで☆」って毎日のように励ましてくれました。ほんまに感謝してます!!県インターハイのちょっと前の練習で、ひかりが「くまと一緒に近畿行きたい。うちは13分台出すから、くまは9分台な!約束!!」って言ってくれて、凄い元気なったし嬉しかった。こんなに走れてなくても期待して応援してくれる人いるんや…って思ったら、頑張ろうって思えました。当日は自分に嘘ついてでも、気持ちだけは高く持って、自信満々で走りました。結果はシーズンベスト。ひかりとの約束は守れなかったけど、後悔はなかったです!競歩で、ひかりと美翔が近畿決めて、同学年として、素直に嬉しかったけど、実はちょっと悔しかったです(笑)近畿インターハイは全力でサポートしました。ひかりと美翔の頑張りを一番近くで見てきたからレース後はほんまに涙止まらんかった。でも、2人見てたら負けてられんってなりました☆☆    でも、インターハイ終わってまた全然走れない時期が続きました。常に一緒に練習してたなっちゃんと志穂ちゃんは、「こういう時期があるから、伸びるんですよ!一緒に頑張りましょ」って言ってくれて、なんとか気持ち繋げられました。兵選の10000mで近畿決めて、あっという間に夏合宿。恐怖の神鍋合宿(笑)離れても、どうなっても全メニューこなす。これが目標でした。でも1日目の練習中に熱中症でぶっ倒れました。おかげでちゃんと練習ができたのは1回だけ。1、2年どっちもこなした100×100本は途中で強制終了…。チームの皆にどんどん置いていかれる気がして本当に悔しくて合宿中毎日泣いてました(笑)神鍋終わってからは、神鍋の分を取り戻すために朝も夕方も必死に走りました。

篠山合宿も終わって、近選も終わって、夏休みは一瞬で終わりました。近選のプチオール楽しかったね(笑)

9月に入って、とうとう駅伝シーズン。開幕戦は九州瀬戸内女子駅伝でした。5人以外は出発日に尼崎ナイターで、曽根ちゃんの大幅ベスト更新の結果を聞いた時は、焦りというか、今までの自分の行動に後悔して、もう放心状態(笑)その日の夜、真由ちゃんがめっちゃ励ましてくれて、2人で泣きながら海眺めてた。THE☆青春(笑)

色んな人がメールくれて、全部保護した!一緒に行った皆のおかげで本番は楽しく走れました!九州終わって、ラストシーズン、絶対に後悔したくない!!って思って、練習でも必死に上の子についていって走りました。10月初めにやっとベスト更新。でもタイムは満足できませんでした。自分の中では、いっぱいいっぱいで、これ以上走れる気がせん…って思ってました。(笑)2日後の徳島記録会もそこそこのタイム。なっちゃんが9分台出して、悔しかった!ほんまに!!(笑)

ラストシーズンの高校駅伝。市駅伝はAチーム4区。タイム出なくて、うちが足引っ張った。市駅伝終わって、県までの2週間は3年間で一番辛かった(笑)ポイントの度に泣いとった。正直、曽根ちゃん恨んだ(笑)でも、今になって言えるけど、曽根ちゃんが伸びてきてくれたから、うちも頑張れたと思う^^*チームのみんなは、心配して、毎日のようにメールくれた(;_;)ほんまにありがとう。県駅伝の仮オーダー発表の時、4区は未定って言われた時、頭ん中真っ白(笑)どうしたら良いんか分からんかった。2日後のポイントの前、先生に「お前は何も考えんと、入れ込まんと走ったら良い。」って言ってくださって、楽に走れました。自分なりに全力だして走って、何とか4区の枠に入れてもらえました。曽根ちゃんが泣いてるの見たら、自然と「ごめんね…」って言ってもたけど、曽根ちゃんは、「謝らないでください。頑張ってくださいね!!」って言ってくれて、この時、絶対に曽根ちゃんの分も良い走りする。って決めました!

県大会の結果は友が丘篠山コースレコードで準優勝。でも友が丘の歴代最高記録には届かなくて、悔しさが残りました。県終わって、近畿に向けて本気で頑張ってたのに、1週間前に発熱で記録会棄権。「うち、もう終わったな…」って正直思った。でもやっぱりチームの皆はメールくれて、諦めたらあかんわ!!って気持ち立て直せました。このシーズンでめっちゃ心に残った練習が、この2日後の1000×3。めっちゃ緊張してたけど、もう楽しんで走ろって思って走ったら、ラスト1本でベスト。3分1桁台が出て、ゴールした瞬間なっちゃんが「やったあ!!!」って言ってくれて、嬉しすぎて泣きながら快調走したもん(笑) 無事に近畿も走らせてもらえることになって、とりあえずラスト駅伝楽しんで走る!!そんで、ひかりに飛び込む!!って思って気持ち楽に走りました(^^)/チームとしての結果は出なかったけど、うちはめっっっっちゃ楽しく走れた♥♥何より、友が丘のユニフォーム着て走れたことが嬉しかったです!

 須磨友が丘駅伝チームで過ごした3年間は、

 人生で一番楽しくて

 人生で一番辛くて

 でも人生で一番最高な3年間でした♥♥

このチームに入れてほんまに良かった!!こんな良いチーム他にないです!!!

みんなありがとう!!!このチームほんま大好きです!!!!!!!!!

 

 ・上村恵理

 

文集書くってことはもう卒業なんですよね……早いなぁー(笑)

高校生活3年間は振り返ってみるとあっという間の3年間でした。

はじめはマネージャーとして活動していて、だんだんと走りたいという気持ちが強くなって選手に移行しました。

マネージャーとして活動していた頃は、毎日の仕事が楽しくて、部活のためだけに学校に来ているようなものでした(笑)選手になってからも楽しく過ごしていたけど、スタートが遅れていることやなかなか走れないことから悩むことが多くて、部活を辞めたいと思ったこともありました。でも、やっぱり陸上がない生活は考えられなかったです。なんだかんだ言っても陸上が好きで、走れるようになったときは嬉しくて1人テンションおかしくて、調子に乗りすぎて痛めて……ということもありました←選手になってからは故障ばかりで、試合は5回しか出れませんでしたが、1つ1つの試合で「陸上の楽しさ」を感じました。部活を引退してからの生活は、何かが足りない、という感じになっていました。みんなが走っているのを見るたび高校生活のほとんどが部活だったな、と改めて思います。

これからは、選手としての本格的な活動はしませんが、陸上に関わることをしていきたいです。3年間、マネージャー・選手としての活動だけでなく、マッサージや合宿、試合での補助員など、いろんな経験が出来ました。この経験を今後の進路、活動に活かしていきたいと思います。友が丘は先生方や保護者の方、卒業生の方の多くの協力があり、とても恵まれた環境のチームでした。多くの方の協力に感謝しています。3年間ありがとうございました!

 

 ・松永紗香 マネージャー

 

とうとう私もこの文集を書く番になりました。ホンマあっという間ですね!

私が須磨友が丘駅伝チームで過ごしてきた3年間を振り返りたいと思います。

中学時代はただなんとなくという気持ちで陸上をしていました。だから高校生になったらやりがいのある部活に入りたくて、自分が高校3年間また陸上部でマネージャーとして過ごすなんてことは全く考えていませんでした。そんな私が陸上部に入るきっかけとなったのは、同じ中学校だった奈美先輩の誘いがあったからです。先輩の誘いがあったからこそ今の自分がいます。1年の入部したての頃は、あんまり馴染むことができないし、マネ業もなかなか覚えられないし、部活が嫌いでした。でも夏休みに入って初めての合宿を経験し、自分の中で気持ちが変わった気がしました。秋になり「駅伝」という友が丘駅伝チームにとって最大ともいえるイベントを経験して、陸上が本当に大好きになりました。選手のみんなが一生懸命ひたすら走り続ける姿を見て、私もマネージャーとしてみんなを支えていきたいという思いが強くなりました。

2年生になってからは本当に学ぶことが多かったです。それと同時に不安で、投げ出したくなることが多い1年でした。3年生になってからは、イライラすることが多くて、選手のみんなにはマネージャーとしてダメな部分ばかりを見せてしまって情けなかったです。自分のことで頭がいっぱいで、周りのことなんか見られなくて、しんどくて何回もやめようと思いました。でもやめたいって思った日の練習のあとは、なぜか絶対に良いことがあって、明日もやっぱり頑張ろうって思い直すことができました。最後の1年はビックリするくらい一瞬でした。

でも3年間本当に最後の最後まで続けてよかったって心の底から思います!私にとって須磨友が丘駅伝チームのマネージャーだったことは誇りです。友が丘のみんなに出会い、たくさんの人に出会い、支えてもらったからこそ3年間やり通すことができました。数えきれないくらいの感謝の気持ちでいっぱいです。